

|
 |
|

一番町四丁目商店街と稲荷小路を結ぶ「恵比須通り」「大黒通り」「布袋通り」の3本の小道と稲荷小路に入口がある「弁天通り」の総称。戦後にバラックから始まった長い歴史があります。
小路に入ると、 赤提灯の焼き鳥屋や仕事帰りにちょっと一杯といった飲み屋が多く、昔ながらの横丁風情が保たれています。でも最近はしゃれたカフェバーも目立ち始めました。ラーメン屋、タコ焼き屋のほか、入り口には模型店、菓子店もあり、5百坪に約70軒が軒を連ねています。 |
|

 |


 |
|
昭和21年にバラックからスタートした一番町四丁目にある昔ながらの商店街。昭和31年に鉄筋に改築された「一条通り」「二条通り」は、2階建ての階下にある2筋の小路です。
開設時の面影が残る通称「三越通り」には、懐かしい感じの店と新しい店が同居。東一市場には飲食店のほか、骨董屋、フィギュアの店、藍染めを扱う店、ペットショップ、タコスの専門店、美味しいアイスクリーム店など名店がいっぱい。じっくり見て歩きたい人情味あふれる商店街です。
|

サンモール一番町からちょっと入ると、レトロな雰囲気を漂わせている文化横丁。「ブンヨコ」の愛称で親しまれるこの路地には、50を超える飲食店が軒を連ねています。
もともとは大正13年に誕生した「東百軒店街」が原型で、翌年にはそこに活動写真館「文化キネマ」がうまれたことから文化横丁と呼ばれるようになりました。
「安心して飲食できる店ばかりです」と文化横丁共栄会では胸を張っています。心ほどける場として人気のスポットです。 |
|

 |


 |
|
仙台駅前から南町通りを西に行くと、ビル街の路地に飲食店など20数店が並ぶ「仙台銀座」があります。
この一郭は、昭和20年の仙台空襲で焼け野原となりました。戦後まもなく木造モルタルをつなぎ合わせて建てたマーケット形態の建物には、飲食店や洋裁店、模型店とさまざまな店が並びにぎわいました。でも昭和27年の大火でほとんどを全焼。以後、今のような横丁となりました。飲食店、麻雀店のほか理美容品店、ネーム専門店などもあります。
|

仙台ビブレの北側、政岡通りと呼ばれる細い路地と中央通りハピナ名掛丁に挟まれた一角は、飲食店を中心にさまざまな業種が軒を連ね、活気があふれています。
ここには4本の小路が伸びており、その1本が「じゃんじゃん横丁」。
菓子工場の跡地に昭和29年にできた横丁で、大阪で繁盛している同名地のように、人がじゃんじゃん来るようにとの願いが込められています。隣の「名掛丁センター街」もにぎやかで、勤め帰りの人々の足を止めます。 |
|

 |


 |
|
マンションが立ち並ぶ北仙台駅界わいにあります。
戦後、材木商が廃業し、跡地に日用品の市場を開き、東京の浅草にあやかりたいと名前を付けました。ところが、浅草観音を祭る敷地も確保してにぎわいを見せた横丁は次第に衰退、老朽化が目立つようになりました。
活気を取り戻したいと篤志家の尽力で、念願の観音様を建立。菓子、鮮魚、青果、毛糸屋など昔からの店舗に新しい飲食店が加わり、たたずまいが一変しています。 |

太白区文化センター「たいはっくる楽楽楽ホール」から国道4号をやや北へ行ったところに「長町2番街」の入り口が見えます。昭和25年にスタートした仙台でも穴場的な横丁。
居酒屋やスナック、小料理屋、ホルモン焼き店、タコ焼き屋などの飲食店のほか、昔ながらのはきもの屋、ヘアサロン、薬局など40軒ほどの店が並んでいます。
「長町マーケット」の別名でも親しまれており、呑兵衛族にはこちらの名の方が通りがいいようです。 |
|

 |


 |
|
横丁とは趣が異なりますが、道が碁盤の目の旧市街地の中でこの界隈は変則的、迷う人も多いので番外として紹介します。
元寺小路がカーブを描いているのは、昔は北側が寺院の並ぶ丘陵地でその麓に沿って造られたからです。
戦前は元寺小路と直角に丘陵に向かって何本かの道がありましたが、戦後の復興事業で新たに基幹道路となった東二番丁通に並行に道を造ったため、新旧の道が交じり合い三角形や台形の区画の複雑な町割りとなりました。 |
|